永遠などないとわかってる

それでもまだ願ってしまうのは

舞台フレンド−今夜此処での一と殷盛り− 感想

東京千秋楽おめでとうございます。1回だけの観劇ですのでネタバレを含む勝手な解釈と感想をざっくりとゆるゆると。実は少し不安もあったんです。ストフルの千葉くんに胸を鷲掴みされた衝撃がまだ残っていたから。ますださんが身を削る程の役だったのか、しばらく舞台はいいと思っていたのにやりたいと即決した「いい人」を演じる舞台ってどんな感じなんだろうって。でもこの舞台をやってもらって本当に良かった。すごくすごく素敵な舞台、素敵な安原さんでした。周りの人たちが呼んでいたように「よしさん」と呼びたくなる人物像で。そして又、千葉くんにも出会えて私たちは幸せだったとここでもう一度言っておきたいと思います。
ヨーロッパの言語と文学専攻のわたしには全くの専門外なので予習をしてはいきましたが、海外文学の一説が所々に出てきたり、日本語の美しさが耳に残って又時間を置いてその言葉がリフレインする、ことばの響きの美しさが印象的な舞台でした。また、人間の生きるエネルギーをものすごく感じた舞台でした。居酒屋フレンドに集まる人々が本当に生き生きとしていて、又、舞台なのにリアリティを感じさせてくれる役者さんばかりなので否が応でも引き込まれて感情移入しちゃうっていう。そしてその場所にいた、安原さんという、中原中也を生涯支えた人物を知ることができて感動した舞台でもありました。
まず中也さん。遠藤さんはドラマでよくお見かけするので知ってはいたのだけど「コワい人」って印象が。舞台では破天荒だけど繊細で色気もある中也を魅力的に演じられてました。詩を詠じる時の存在感の凄さに鳥肌が立つほど。実際いたら確実に一度は殴ってるだろうけどw
そんな中也から小林秀雄の元へ走る泰子さんがお綺麗で! 実在の方もグレタ・ガルボに似てたそうですが、パンフの写真よりずっと綺麗で(失礼)妖艶な雰囲気のある方でした。若いうちは奔放な中也に惹かれるけれど、大人の知識人の落ち着きがある小林秀雄を選ぶのもまあリアリティのあることあること。
秋ちゃんもすごく魅力的でした。大震災で生き残ってしまったという負い目があるからか幸せになってはいけないと思っていて、世の中を冷静に見ていて、だからといって厭世的でも暗くもなく、少し気が強くて、身分違いのよしさんにほのかな恋心を抱いてる秋ちゃんがとてもいじらくてかわいかった。よしさんからクラシック音楽のレコードを貸してもらっても、貧乏だから誰も蓄音機なんか持ってないって教えちゃうのに、貸してもらったのが嬉しくて読めないドイツ語のレコードジャケットをずっと眺めたり、ドーナツ盤を耳に当ててると音楽が聴こえたのって告白したり。カフェで女給を始めてから借金の肩代わりをしてくれるという人のお妾さんになる決心をしたとき、よしさんに宛てた手紙が「遺言」。もうよしさんに逢えないのは死んでるのと一緒だと思う秋ちゃんがいじらしくて。
そしてますださん演じるよしさん(長いです。「よしさんへの手紙」とでも言うべき長さw この段落を読み飛ばしても…)。いつの時代でも自分の信念を貫く強さと優しさを持ち続けて生きるよしさんが本当に素敵で。よしさんにえくぼがあってよかったなって思うほど笑顔が似合って(えくぼがあるのはますださんなんだけど)。少年のような、と称されたよしさんが愛するひとを守りぬく大人の男へと成長していくのも素敵でした。よしさんの手の美しさにも目を見張るものがあったのだけど、下駄を履いていた時に初めて見た足の甲のまあ美しいこと! もうほんとに京大に通うお育ちの良いお坊ちゃんて設定が説得力あって、よしさんにしか見えなかった。普段NEWSやテゴマスで活動しているから芸術を知る雰囲気もあるし。ストフルの千葉くんのうっすら見える筋肉とぱさっとした印象の質感もものすごく説得力あったけど、演技以外でも役になりきる努力を怠らないますださんかっこいい…。逆に手足の綺麗さとか素敵な笑顔とかを持ち合わせてたますださんがよしさんにぴったりだったのかな。あとね、「次男坊ですし」がいたくわたしのツボだったの。その言い方も雰囲気もまさに次男坊!それと横浜の女学校で英語の教師をするってセリフにものすごくコーフンしてしまった。時代的に母校だと思うので、教鞭をとるよしさんを想像して萌えてしまいました。よしさん、であってますださんに、ではないので賛美歌上手だろうなっていうのは考えなかったんだけど。それだけよしさんにしか見えなくて今もテレビや雑誌で見るますださんが不思議に思えるほど(ますださんもえらくかっこいいだけに)。
ひたすら中也を支え、中也の詩集を出版するために奔走していたよしさんのその夢が叶う時、同時に自分の文学と芸術の「冒険の旅」を終えることをよしさんは告げるのだけど。これよりもっと前のシーンで「中さんはドン・キホーテみたいなんだ」って生き生きと喋っていたよしさんが思い出されて。自分の詩を認めない世の中という妄想の敵と戦っていた(ようにわたしには思えた)セルバンテスドン・キホーテのような中也と、それをひたすら信じてその旅に寄り添って励ましていたよしさん。けれど、刊行する詩集の表紙は自分の版画ではなく有名な高村光太郎の装丁になることを知り、中也が認められたことを喜んで、自分は冒険の旅を止めて中也の傍らではなく(精神的にはずっと寄り添うけれど)、愛する秋子を守る現実世界だけで生きていこうとする強い意志を感じられただけに見ている方は切なくて。でも冒険の旅に出たことを後悔してはいなくて、芸術に触れられたことを嬉しそうに話すよしさんはとてつもなくかっこよくて。あと、完成した山羊の歌の表紙が、現物借りたの?ってくらいの忠実さにも感動。
中也は精神を患って亡くなり、時代も戦争が色濃くなっていき、外国語禁止になってもフレンドの看板(ドンレフって読んじゃった…)は変えないって言っていたのに「友」に変わり、赤玉ポートワインみたいなポスターも最終的には軍国主義の色濃い戦闘機になってしまっていく。この世に恋をしていれば殺し合いなんてしないのに、と言っていたよしさんの優しく綺麗な言葉を思い出さずにはいられないほどに。空爆の中、秋ちゃんの名前を叫びながら探すよしさんの前に中也が現れるのだけど、そのときわたしの脳内で甦ったのが、秋ちゃんが結婚の約束をした時にたったひとつよしさんにお願いした「絶対死なないで」。よしさん秋ちゃんとの約束守って!世話になったんだから中さん助けてあげてよ!(脅迫)って目で観てました。そんなよしさんの目に入ってきたのはまだ芸術を語っていた頃のフレンドとそこに集う人々。よしさんと中也でサーカスを詠じるのだけど、ふたりの声の高さが相対音感があるというか「歌う」ようにとても心地よく聞こえたなー。そういえば「うた」って「歌」も「詩」もあるなあって思ったり。途中の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」の秋ちゃんの声のアクセントも良くて。そして、ここに集っていた人数がグッズのマグマスに描かれていたお花の数と同じ13だってことに気付いた。偶然かもしれないけれど素敵じゃないのまっすー…。私たちは舞台を思い出したり‘a cup of happiness’を噛みしめながらお茶できる時代を生きている幸せを実感できて。そして、中也からお前は生きろと言われた後に現実の焼け野原で秋ちゃんと再会できた時は中さんありがとう!って心でお礼を言うわたし。秋ちゃんが持ち出した荷物には中也からの手紙とかつて貸してもらっていたレコード。よしさんの代わりに抱きしめようかと思いました。ラスト、秋ちゃんを抱きしめるよしさんが閉じていたまぶたを一瞬開ける時があったのだけど、ものすごく強いひかりを感じる瞳でした。きっと、秋ちゃんとの約束を守り抜いて、家族も守るんだろうなって思えるような。安穏な明日ではないかもしれない。それでもよしさんはかつて言っていたようにこれからも中也の詩を読んで明日のために眠るのだろうな、と。愛する人を傍らにして明日のために眠ってほしいと願う舞台でもありました。
カーテンコールになっても、よしさんは座長ではあってもますださんに戻ることなく振る舞っていたのがものすごくかっこよかった。増田貴久という俳優は、人を愛する役がとても似合う役者さんになったなあと思いながら拍手をしていました。
よしさん、私たちの心の中にザルツブルクの小枝は作られましたよ。
カーテンコールに応えるよしさんを見上げながらそう伝えられるようにずっと拍手をし続け、後日、中原中也詩集を目にしたときに、あのよしさんのおかげで私たちが今これを読めるという、時空を超えた幸せな感覚を覚えました。